淡路瓦について
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淡路瓦の起源
日本で初めて瓦が葺かれたのは、崇峻天皇元年(588年)、朝鮮の百済から4人の瓦博士が来て、蘇我馬子によって建てられた法興寺(飛鳥寺)であり、今から約1400年前のことである。
淡路瓦の始まりは、江戸時代の始め、1610年(慶長15年)に関が原の戦いの戦功によって姫路領主池田三左衛門輝政が淡路6万石を拝領し、輝政の三男、忠雄が淡路の領主となり、岩屋城修築と洲本市由良の成ヶ島に由良成山城を築いた。その時、忠雄は播州から播州瓦の名工、清水理兵衛を呼び寄せ城の瓦を焼かせたのが現在の淡路瓦の始まりと言われています。
清水理兵衛が播州に帰った後、淡路島。に残った理兵衛の弟子たちが、松帆(南あわじ市)・尾崎(淡路市)・阿万(南あわじ市)・釜口(淡路市)などで瓦の製造を始めました。
その中でも、淡路瓦の中心地である津井地区へは理兵衛が来てから十五年後、1626年(寛永3年)隆泉寺本堂建立の時に法華宗の援助で当時、貧農の地であった津井地区に伝わったと言われています。
淡路島で瓦づくりが盛んになった要因として、原料である粘土の良さがあげられます。瓦づくりは『何をおいても土』といわれ、淡路の土は『瓦をつくるために用意された神秘の粘土』といわれています。また、津井、阿万、尾崎地域で焼かれた事を考えますと、①港のすぐ近くで良質の粘土が大量に取れた事や②四方が海に囲まれている淡路島では早くから海上輸送が発達していた事と③大阪・京都・奈良など社寺仏閣の多い瓦の大消費地が地理的に近かった事が要因ではないでしょうか。今の様に、トラック輸送などの陸上交通手段が無かった時代ですので、重い瓦を船で大量に運べるという海上輸送の利点を大いに利用し、近畿圏を中心に全国に出荷していたと思われます。
淡路島で産出する粘土で生産される「淡路瓦」は、愛知県の「三州瓦」、島根県の「石州瓦」と並んで、瓦の日本三大産地のひとつとして有名です。 最新の工業統計(平成25年)によると、この三大産地で全国の90.4%を生産出荷しております。その中でも『いぶし瓦』では全国シェア32.9%と日本第2位の生産出荷をしており、淡路瓦と言えば『いぶし瓦』と言われるほど、格調高く「いぶし銀」にかがやく『いぶし瓦』の発色の美しさと肌の細やかさ色持ちの良さは有名です。
現在、兵庫県下の瓦製造業者のほとんど(99%)が淡路にあり、平成25年は約5,020万枚の瓦が全国に向けて出荷されています。